2008年 8月

 1日・・・前日発作で 救急車で来た病院に次の日は 脳波の予約が入ってたので 無理やり起こし 娘を連れて行く 仕度をしていると
 ??何やら 様子がおかしい。  朝から着替えが出来ない。歩きずらい
顔から転ぶ 案の定 「ママ〜助けて〜〜。今日は 身体が思う様に動いてくれないの〜〜」なので 脳波だけの予約だったけど 外来に入れてもらい
小児科で見てもらったら  てんかん発作後の ”とと麻痺”と言われ 時間が解決します。だった。  初めて聞く言葉に?・(;一_一)だった。

 4日・・・脳波の結果を聞きに 担当医の診断で 発作が続いてるので やはり 薬をまたはじめましょう〜 と言われて この時の私が無知な為に この言葉を信じてしまい その晩に薬を 1錠飲ませてしまった。
 あの時 もっと きちんとした知識が私に有れば・・・と 後悔しています

 5日・・・昨夜1錠テグレトールを飲んだ娘は 朝私が パパが仕事に行くのを 玄関で 見送ろうとしてるときに 2階から下りてくる足音が・・。
大好きな パパを娘も見送りたいのか??と  待っていると
真っ赤な顔をして 「ママ〜助けて〜」と言って 其のまま倒れた。
これは ただ事では無い!!   熱を計ると 体温計振り切っていた、42℃仕事に行くつもりでいた パパさんも急きょ車のエンジンを掛けて 救急外来に行く準備   病院について 処置室で待たされてる間も 娘の呼吸はどんどん荒くなり、心臓が横たわってる子供なのに 凄い勢いで高鳴ってるし、
顔も身体も 赤鬼さん見たいに 真っ赤っかで 唇があっという間に 水ぶくれに 声掛けて 目をあけると 分単位で角膜がゼリー状に・・・・
何もしてくれない看護師さんあてにしてても この子死んじゃう〜〜
と 売店に飛んで行き タオル買ってきて 水でぬらし身体を冷やして上げたり・・・・としてる内に パパと 何が起きてるのか?話し合ってた。
暫くして 呼ばれ さっきと違う医師になって居て 教授となっていた

教授先生の言う事は 重篤な副作用で スティーブン ジョンソン症候群と言われて そのまま緊急入院 
意味のわからない事言われて 夫婦で??となり
主人は 午後から会社にいき そこで会社の人に ネットで調べてもらい 家族会が有るほどの事 これは大変な事に!早く 帰って医者と向き合え!!
と言われたと 帰ってきたっけ。

それから ネット環境が無かった自宅は 困り友人に頼んで スティーブンの事調べてもらい 凄いことが娘に起きている事を知り
家族会の方に連絡を取り 正しい処置方法と 医師にどう対応するか聞いて
夫婦で病院に向かった  
病院に着くと 医師らが数人チームを作りました。と言い
あらゆる科から 娘の為に治療にあたります! と 言って構えていましたがパパさんは 何でもいいから 娘を元の体に戻してくれ!  と訴えていた。
今でも あの病院にいたら 娘はどうなっていたのか?と 寒気がしますが 娘の症状の患者を 初めて見るらしく 大学病院だったので トータルで見ても 年に2人居るか居ないかの 患者なので 情報を取りよせながら 出来る限りの事をさせて 頂きます。 と言っていても 時間を計って 写真を撮りに来るだけ・・・・角膜が溶け出してしまってる様な 状態の娘の失明だけは避けたかったから   娘の眩しいという声で カーテンを昼間でも閉めて 部屋の明かりも消し 暗くして上げてるのに!!   フラッシュをたき 写真を撮りに来る。  滅多にない患者!と 医師が代わる代わる覗きに来る。。
始めは 分からなかったから 確認されれば 「良いですよ」と 受けていたけど  治療じゃないんなら やめてよ〜〜という思いが 湧いて来て パパさんに ハッキリ断ってもらった。  そこら辺から 転院を勧められて来たかな〜〜  厄介物は早く出てけって???  こっちが願い下げ!(ー_ー)!!

危うく 娘を失うところだった・・・・運よく 処置もはやかった?為
後遺症も残らず、今に至りますが、この病院の投薬と判断ミスはハッキリしていたし、 そこに 私の無知さゆえに 我が子に怖い薬を 飲ませてしまった
その悔しさが 今も消えない・・・。